岩船酢の歴史
・「岩船酢」の沿革
「岩船酢」蔵元・松田権四郎は、正徳3年(西暦1713年)創業、岩船酢屋として8代290年続いています。 創業時は、酒造業で、回船問屋も兼ねておりました。
船往来の一札(船の往来手形)によれば、船主権四郎、水夫共
6名とありますので、30石船はあったようです。
・「岩船酢」の起こり(家に伝わる話)
何代目のことかは定かではありませんが、ある年、酒の仕込みに
失敗して腐敗してしまいました。「困った。1年分の酒がダメになった。
これでは、破産だ。」眠れない日が続いたある夜、うとうとしていた時
日ごろから信仰していた弁天様が夢枕にお立ちになって、「酢に
しなさい。おいしい酢になりますよ。」と告げられました。
「あぁ、ありがたい。そうか、酢になるかも」と、早速酢に変える作業に
とりかかりました。臭気をとりのぞくことには苦心しましたが、努力の
甲斐あって、おいしい酢に変えることに成功しました。
弁天様のありがたいお告げで出来上がった酢なので、「岩船酢屋の
弁天酢」と命名し売り出して、地元はもとより、回船によって、酒田、
北海道、樺太まで出荷していました。
弁天様は、当蔵の裏に琵琶潟があり、その島に琵琶潟弁財天と
して祭られていましたが、江戸末期に町の有力者が干拓し、今は
田んぼの中に祠があるだけで、尊像は最明寺に安置され、毎年
9月14日の祭礼には、ご開帳されています。
・「岩船酢」の名称
弁天酢の容器は、出荷する樽に「岩船酢屋」と焼印を押して
いました。いつのまにか「岩船酢」と呼ばれるようになり、昭和22年
以降は、「岩船酢」を商標としています。
・勧業博覧会に出品受賞
日露戦争後、日本は世界の列強に仲間入りしました。 明治政府は、
「内実業の大発展をはかり、外貿易の大伸長に努め、国富の充実を
期する戦後経営の第一義たる、、」との主旨で 毎年、内国勧業博覧会や
東京勧業博覧会、内国生産品博覧会を さかんに開催していました。
5代、6代権四郎は、この主旨にこたえ 出品、数々の受賞の栄に
浴しています。 受賞中、最高のものは、明治36年、
第5回内国勧業博覧会の 表彰で、賞状には、総裁戴仁親王、
審査総長、大鳥圭介の名が あります。